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   <title>ちびちび</title>
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   <subtitle>あーなんかいいことないかな。</subtitle>
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   <title>フランスの身体教育　3</title>
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   <published>2012-05-08T05:16:30Z</published>
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      連盟はとくに1968年以降、競技大会から多少とも後退する姿勢をとり、1976年の活動方針において、その立場を次のように明確にしています。


《連盟の集団的活動は、他の活動との関係や協調、喜びの源泉たる個人的努力を探ることにありますが、主たる目的を絶対的な効率におく力の感情表現である、選抜形式による競技大会は拒絶する》。


・・・しかし、1989年に新しい活動方針がつくられています。


連盟の旧来の立場が再検討に付され、友好的な大会に限って参加を認めるようになりました。


今日、30万以上の会員（そのうちの95パーセントが女性）を擁している同連盟は、身体訓練のために体操を奨励。


さまざまな連盟機関に、なおもかなりの数にのぼる体操教師を抱える運動となっています。


しかし、これらの連盟機関は、そのノーマルな無気力ゆえに、イデオロギーの変化から少し遅れているとの印象を与えるものです。


      
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   <title>フランスの身体教育　2</title>
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   <published>2012-04-11T05:15:18Z</published>
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   <summary>さまざまな学校スポーツ協会のチームを集め、文化的活動をも伴う年に一度の大規模な祭...</summary>
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      さまざまな学校スポーツ協会のチームを集め、文化的活動をも伴う年に一度の大規模な祭りである「ランディ」。


・・・ちなみに、中世から革命頃まで、パリ北郊サン・ドニで毎年6月に開かれていた同名の大祭は、主に羊皮紙の取り引きで知られ、この期間、パリ大学の学生たちは、学長を先頭に、行列を組んで羊皮紙を買いに赴いたといわれます。


これを創設した彼は、最初のうち、パシャル・グルセによって設立された「全国身体教育同盟」に加わり、ジョルジュ・ド・サン=クレーやピエール・ド・クーベルタンの考え方に共鳴していました。


しかし、まもなくそれらと距離をとるようになり、1888年、「ジロンド県身体教育同盟」を設立します。


スウェーデンに滞在し、リンク方式〔詩人としても知られるP・H・リンクが唱えた合理的体操理論に基づく、いわゆるスウェーデン体操のこと〕に感銘した彼は、こうして独自の体操原理を発展させます。


連盟スポーツと一線を画す、合理的に管理されたスポーツの信奉者となったのです。


ティシエの没後、ジロンド県身体教育同盟は、1936年に「フランス身体教育同盟」、54年には「フランス教育体操連盟」と改称。


64年には《発的体操》(ジムナスティック・ヴォロンテール)という語が追加されて、72年に今の呼称「フランス身客・自発的体操連盟」(FFEPGV)となりました。


      
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   <title>フランスの身体教育</title>
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   <published>2012-03-01T06:14:27Z</published>
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   <summary>スポーツはいずれ教育的な目的とは異なる本来の目的を追い求めます。 だからこそそれ...</summary>
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      スポーツはいずれ教育的な目的とは異なる本来の目的を追い求めます。


だからこそそれは専門化し、だからこそ弱体化します。


それはなにほどの有益性も示さず、最後にはプロフェッショナリズムとスペクタクル性へと至るのではないか・・・。


こう考えた人がいます。


やがて彼の自然体育法は、フランスにおける身体教育の方向づけに大きな影響を及ぼすようになります。


事実1941年には、それはヴィシー政権〔1940年から44年にかけて、フランス中部のこの町で樹立された、ペタン元帥を首班とする親独政権〕の公式体育法となっているのです。


・・・健康をスポーツ的偉業と対立させる衛生観は、フィリップ・ティシエ博士(1852～1935年)の仕事に由来します。



      
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   <title>酒のチャンポンはなぜ悪酔いする？</title>
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   <published>2012-02-13T02:08:33Z</published>
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   <summary>お酒をチャンポンにすると、悪酔いや二日酔いの原因になることは、酒飲みなら経験的に...</summary>
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      お酒をチャンポンにすると、悪酔いや二日酔いの原因になることは、酒飲みなら経験的に知っています。


なぜでしょう。


酒には多くの種類があり、それぞれの酒ごとに異なる微量成分が含まれています。


チャンポンをすると、この成分がまざり、相乗効果で作用が強まるため悪酔いする1以前はそう考えられていました。


しかし、現在の説はこうです。


酒には各人に適量というものがあり、一種類の酒だけなら適量の見当もつきやすいのに、チャンポンをすると量の見当がつかなくなり、結果として深酒=悪酔いの原因になるというのです。


ハシゴ酒―チャンポン―悪酔い―二日酔いとつなげてみれば、納得できる説です。



      
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   <title>「酒は百薬の長」はどこまで本当？</title>
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   <published>2012-01-11T02:08:05Z</published>
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   <summary>昔から「酒に十徳あり」といい、十徳の第一に「百薬の長」があげられています。 酒は...</summary>
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      昔から「酒に十徳あり」といい、十徳の第一に「百薬の長」があげられています。


酒は適度に飲みさえすれば、気分を鎮めて疲れを忘れさせ、心地よい睡眠をもたらすので、薬以上の効果があるというのです。


たとえば人間の心臓は、1日におよそ10万回も収縮を繰り返し、ドラム缶35本分の血を送り出します。


このいちばん重要な器官である心臓に対するアルコールの影響を調べると・・・


薄いアルコールを与えた場合は収縮する力を強めて、送り出される血液の量をふやします。


ところが濃いアルコールを与えると、逆に心臓の働きは悪くなってしまうのです。


要するに、酒は適度ということが肝心で、度を過ごせば「百毒の長」になります。


      
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   <title>日本酒の一升ビンはなぜ青い？</title>
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   <published>2011-12-08T02:07:29Z</published>
   <updated>2011-12-08T20:55:10Z</updated>
   
   <summary>日本酒のビンは普通青い色をしていますが、ウイスキーやブランデーなどの洋酒のビンは...</summary>
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      日本酒のビンは普通青い色をしていますが、ウイスキーやブランデーなどの洋酒のビンは透明です。


これは、日本酒は醸造酒・・・


もう一方は蒸溜酒であることがその理由です。


ウイスキーやブランデーは、麦やブドウを発酵させて、さらに蒸溜して作りますから不純物はほとんどなく、日光にさらされても変質しません。


ところが日本酒は、お米を発酵させて濾しただけのものですから、エキス分と呼ばれるいろいろな成分が多いです。


透明なビンでは紫外線などの作用によって、すっぱくなったり質が変わったりするのです。


なお青いビンはお酒の黄金色を美しく見せ、青はハエが嫌って寄りつかないので、衛生的でもあります。


      
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   <title>ビールを飲むとふとりやすいのは？</title>
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   <published>2011-11-13T02:06:59Z</published>
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   <summary>ビール腹とかビールぶとりというように、ビールを飲むとふとる傾向がありますが、なぜ...</summary>
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      ビール腹とかビールぶとりというように、ビールを飲むとふとる傾向がありますが、なぜでしょう。


アルコールは、ブドウ糖と同じようにエネルギー源になります。


したがって、アルコールを飲めば他の食物をへらしても同じはずですが、実験してみると、かえって少しやせてきます。


それは肝臓の機能が低下するためです。


しかし、肝臓がいくらかアルコール漬けに慣れてくると、余分なカロリーが少したくわえられて、今度は脂肪ぶとりの傾向を示してきます。


特にビールは、アルコール分が少ない上に糖分が3%も含まれているので脂肪がつきやすく、ホップには女性ホルモンの作用もあるのでふとるのです。


      
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   <title>中国のかみさまと占い</title>
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   <published>2011-10-22T01:14:43Z</published>
   <updated>2011-10-25T19:55:26Z</updated>
   
   <summary> 春聯は年画といい、福寿・子孫繁栄を願い邪悪を禦ぐ意味で、厄除け・招運のおまもり...</summary>
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      <![CDATA[
春聯は年画といい、福寿・子孫繁栄を願い邪悪を禦ぐ意味で、厄除け・招運のおまもりであったのです。


だいたい中国の新年気分は、陰暦の12月23日の竈祭から始まって、正月19日の灯節の最終の日まで約1ヵ月ほどもつづきます。


竈神(蛙神)は一家の吉凶禍福をつかさどる神です。


家庭とはもっとも親泥の関係にあるから、中国では上下を通じてこの神を祭る習慣がおもんじられています。


したがって年の末に家庭の竈を清掃し、この神を祭ることによって新年の準備に着手することになるわけです。


・・・竈神は男女二柱で、男神を燈君または辻王爺、女神を蛙妨々といいます。


男神は日常その家庭の善事を数え、女神は悪行を数える役目で、毎年12月23日に昇天してその善悪を天帝(玉皇上帝)に報告します。


<a href="http://www.uranai-king.com" target="_blank">電話での占いはココ</a>です。

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   <title>組織とマーケット　4</title>
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   <published>2011-10-11T03:15:24Z</published>
   <updated>2011-10-25T19:55:31Z</updated>
   
   <summary>なぜなら彼らは経営上の既得権のようなものを持っており、必要な変革を受け入れること...</summary>
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      なぜなら彼らは経営上の既得権のようなものを持っており、必要な変革を受け入れることは余りにも困難であるためです。


これらの組織の構造に関する問題は多くの中小企業にとってはそれほど深刻なものではありません。


中小企業は、非常に複雑に入り組んだ構造を持ち、マーケットに適応しようとする努力を欠いた、機能中心の組織に悩まされるということが少ないからです。


しかし、これらの中小企業の管理職でさえも、入り組んだ構造、向へ流れようとしがちな傾向にあらがい続けなければならないのです。


官僚主義、無気力という方利益を生む経済学を理解するこれもまた誰もが認めるところであり、「これについてはすべてわかっている」と答える人も多いでしょう。


・・・ほとんどの場合、こういう人に限って全くわかっていないのです。


実際、ほとんどの人達は&quot;利益を生む経済学を理解する&quot;ことが、本当のところ何を意味するのかわかっていません。


      
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   <title>組織とマーケット　3</title>
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   <published>2011-09-05T03:14:50Z</published>
   <updated>2011-09-09T19:55:28Z</updated>
   
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      5.生産活動に従事しない社員と、直接従事する社員の比率は満足できるものでしょうか。


何人が利益を生むことに実質的な貢献をしているのでしょう。


直接利益を生むのは、例えば、第一線の営業担当者、時給制の直接労働者、受注の処理および記録の担当者、運びこまれる原材料取り扱い担当者、製品の保管.搬出担当者などです。


何人の管理職、管理部門スタッフ、現場の補助スタッフが彼らを支えているでしょうか。


直接利益を生み出す補助スタッフがいるとしたら、その補助スタッフはどういった仕事をしているのでしょう。


彼らはどのような形で利益に貢献しているのでしょうか。


これらの質問は目新しいものではないのですが、それに対する答えはこれまでにないほど重要になっています。


従来の、あるいは経験に基づいた答えはおそらく間違っているでしょう。


・・・というのは、状況が激変しているからです。


さらに既存の経営陣が、今あるいは将来的に正しい答えを出すことができるかどうか、はなはだ疑問です。


      
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   <title>組織とマーケット　2</title>
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   <published>2011-08-10T03:14:15Z</published>
   <updated>2011-09-09T19:55:25Z</updated>
   
   <summary>3.企業グループ、あるいは部門の人員に余剰はないか。 組織の中の別々の部門で同じ...</summary>
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      3.企業グループ、あるいは部門の人員に余剰はないか。


組織の中の別々の部門で同じような役職が存在していないだろうか(全社担当の経理部長、グループ担当の経理部長、部門担当の経理部長、プラント担当の経理部長)。


もしあるなら、それは意味のあることなのでしょうか。


管理部門スタッフの配属から、彼らが利益に積極的な貢献をしているか見て取れるでしょうか。


もしそうであるなら、生産現場の管理職は機能が経費に見合うものであるとして同意するでしょうか。


4.管理階層が多すぎないか。


事業部門担当部長と第一線の労働者間に5つ以上の階層がないか。


管理職の中に4人以下の部下しか持たない者はいないでしょうか。


・・・それはどういった理由からなのか。


これらは一人の管理職のもとにまとめられないのでしょうか。



      
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   <title>組織とマーケット</title>
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   <published>2011-07-05T03:11:53Z</published>
   <updated>2011-07-05T19:55:08Z</updated>
   
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      次の重要な質問に対する答えを率直に評価することは、良い指針となるでしょう。


1.組織はマーケットを満足させるために作られているか。


それとも単に機能を管理し、製品を売るためだけのものなのか。


優先順位の高いマーケットがどれかはっきり認識できているか。


・・・製品とサービスの組み合わせがターゲットマーケットにぴったりあっているかどうか、についての責任者はいるでしょうか。


特定のマーケット向けに対応する、部門の枠を越えた調整を行うメカニズムを持っているか。


販売組織ではマーケットに集中する動きは見られるでしょうか。


2.独立して利益を生み出す部門は十分あるか。


利益を生み出す全責任を負う重みを感じている管理職は十分いるか。


業績の良い小規模の競争相手より、個々の事業部門が大きいということはないか。


利益と損失の責任がしかるべき人に割り当てられているか。


・・・多額の経費がつぎこまれている部門はないでしょうか？


      
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   <title>修羅の覚悟　3</title>
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   <published>2011-06-13T07:14:55Z</published>
   <updated>2011-06-30T19:55:14Z</updated>
   
   <summary>痴呆性老人は、介護や介助を必要とするという点でも、人間の形をしているが見当識を失...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://chilwell.info/">
      痴呆性老人は、介護や介助を必要とするという点でも、人間の形をしているが見当識を失っているという意味で「人間」でないという点でも、赤ちゃんと酷似しています。


しかし、痴呆性老人の場合は、ひとたび人間となった個人が「非人間」化するという点では、その介護や介助に「夢」を託しにくいのです。


・・・もちろん、再び「人間」化する可能性を信じて介護や介助を惜しまないのは人間らしい態度ではあるでしょう。


けれども、すでに「人間」の基本条件を失っている、失いかけている痴呆性老人を人間らしく世話しなければならないのは、介護や介助に当たる諸個人が見当識をもつ人間であるからです。


自分がだれであるかも分からず、時間の観念を失い、他人を判別できなくなった老人を、在宅でひたむきに介護する人びとに崇高さが感じられるのは・・・


わたしたちが見当識を失った老人と自分を重ね合わせ、イメージの世界で人間らしく扱われる自分を思い浮かべるからです。


しかし、実際に介護や介助に当たっている人びとの日常は修羅に近いのです。


疲労困憊のすえ、自分の手から離し施設へ入れる決意をしても、それをだれが責められるでしょうか？


在宅福祉の重視は、ある程度まで、この修羅を引き受ける覚悟をすることです。


そして、実はこの背景には「老人」観の変転があると考えられます。



      
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   <title>修羅の覚悟　2</title>
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   <published>2011-05-28T07:14:00Z</published>
   <updated>2011-06-08T05:12:51Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://chilwell.info/">
      人生の通過路において、他の人による介護や介助を必要とする主要な時期は、乳幼児の頃と寝たきりや痴呆性になった老後です。


赤ちゃんと老人が同じように世話の手がかかるのは、普通の意味で自力で生存を維持できないからです。


もし、人間(個人)というものが、自己と時間のイメージをもち、自分と他人、自分と環境との関係を認識しつつ行動できるものとすれば、この意味で赤ちゃんは人間の形はしているが人間ではないでしょう。


人間になる可能性をもつ動物にすぎないでしょう。


だから、人間にするための育児に手間がかかるのです。


・・・しかし、この手間のかかる育児の労苦を大部分の親はいとわないでしょう。


それは人間になる可能性(夢)を確信しているからです。


これに対して、痴呆性老人の場合を考えてみましょう。


痴呆とは医者の用語では広く「見当識障害」の一種であるといいます。


見当識とは、自分自身について、自分と他人や自分と環境や自分と時間について見当がつき、それに従って行動がとれることです。


この見当識に脳血管症とかその他不明の原因で障害が起こり、老人が「非人間」的行動をとる場合に、それを痴呆性老人とよんでいます。


      
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   <title>修羅の覚悟</title>
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   <published>2011-04-28T07:11:47Z</published>
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   <summary>体が不自由になった老人たちが「一身独立」の人間として最後まで生きるためには、意欲...</summary>
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      体が不自由になった老人たちが「一身独立」の人間として最後まで生きるためには、意欲をもちつづけられるような条件をつくることです。


それは、時に「冷たいくらいでなければ人は親切でない」という逆説を、配慮のいき届いた「補完」行政で実証することではないでしょうか。


なにからなにまで面倒みているようで、実は最も非人間的な管理をしている施設福祉の現場を「ホーム」(家庭)とよぶのはあまりにも無惨です。


老人たちから自立への意欲を奪い、あるいはその意欲を捨て去ることなしに「ホーム」へ入所できない福祉行政の現実をどのように改革できるか・・・


そこに自治行御曲政と住民との関係を考える最もさし迫った今日的課題の一つがあるといえるでしょう。


修羅といえば「常に戦い・争いの行われる悲惨な場」のことです。


やや誇張していえば、いま、わたしたちが急速に入っていこうとしている高齢社会における施設でも在宅でも、福祉の現場は修羅に近いものになる可能性があるように思われます。


・・・それは、福祉の現場を人間的なものにしようとすればするほど、そうなるという逆説的な事態の招来です。


なぜか・・・・？


この点を次に考えてみたいのです。


      
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